2013年10月28日

Lou Reedの訃報に寄せて:”Walk on the wild side" Review”

以下の文章は、1998年9月27日、まだ、Blogもない頃、に密かに作っていた、坂本龍一と村上龍に関するHome Pageに書いた文章ですが、Lou Reedの訃報に接し、Blogで公開することにしました。
−−−−−

1998年9月14日深夜、セリエAのペルージャ VS ユベントス戦で、中田英寿選手が2点目のゴールを決めたのをテレビで見ていたとき、
 "Hey, take walk on the wild side."
(ねえ、ワクワクするような道を行こうぜ)
という、Lou Reedの"Walk on The Wild Side"の一節が聞えてきた。
それと同時に、映画「The Last Emperor」のsound trackでアカデミー音楽賞を受賞したときの坂本龍一の姿を思い出していた。その時、思った。坂本龍一が"Sakamoto"になったように、中田選手も、"Nakata"になったのだと。そう思った瞬間、自分が涙を流していることに気づいた。
この試合を観るためにペルージャに飛んでいた村上龍は、この試合の一週間後に発売された『週刊朝日』(1998年10月2日号)に寄せた観戦記の中で、次のように述べている。
開幕戦で、中田が二本のゴールを決めたあと、感動したというメールがいろいろな人から入った。あの坂本龍一からも……。
「中田はすごかったね。僕もファンだって彼に言っといてよ。」
坂本が日本人のスポーツ選手に対してこんなことを言うのは、わたしの知る限り初めてだった。
これを読んで、わたしは、『友よ、また逢おう』のなかで、村上龍が
「『Amore』は兵士のラヴ・ソングだった」と言ったとき、坂本龍一が「僕は秘かに自称兵士なんだ。世界中に散らばっている兵士たちにラヴ・コールを送るね。」と言っていたのを思い出していた。だが、不思議なことに『Amore』ではなく、またしても、
"Hey, take walk on the wild side."
(ねえ、ワクワクするような道を行こうぜ)
と歌うLou Reedの歌声が聞こえてきた。

Lou Reedという名前は、『コインロッカー・ベイビーズ』を読んでいた時に知った。
初めて聴いた曲が、この「Walk on the Wild Side」だった。ルーリー・リードの声は、とても不思議だった。声量があるとはいえないが、一度聴いたら、頭からなかなか離れない声。それは、声帯がつくり出すというよりは、むしろ 、舌の動きがつくり出す声と呼んだ方がよい声だと感じたのをよく覚えている。 また、この歌の歌詞に興味を持った私は、ここで使われている"wild"という単語が、動物が「人に慣れていない=野性」という意味の他に「楽しい」という意味も持つことを知った。
去年(1997)出版された、村上龍の「白鳥」という短編集の最後に「ウォーク・オン・ザ・ワイルド・サイド」という短編がある。この短編集の「あとがき」で村上龍は、
信じて貰えないかも知れないが、最後まで、これを自分が書いたという感じがなかった。
と述べているが、私は、逆に、この短編を最初に読んだとき、前に読んだことがあるように思えた。初出は「『STUDIO VOICE』」90年3月号」となっているが、その当時、この雑誌を読 んだという記憶はない。読んだことがあるように感じたのは、ルー・リードの歌を聴いていたからだろう。
この短編この主人公の音楽家は、自分が対峙している時間軸と世間一般の時間軸が決して融合するものではない、と知っている。そして、自分が対峙している時間軸を「ワイルド ・サイド」(=野性の領域)と呼んでいる。音楽家は、妻や娘と「他人ごっこ」をすること、つまり、「日常」を「非日常」にに近づけることによって、一般の時間軸とワイルド・サイド」の間にあるズレを縮めようとする。そして、村上龍は、この物語を、
親しさがどこにもない……。
という一行で結ぶ。
野性の動物が、人間に「慣れる」ということは、自力で餌を獲得せず、人間によってそれを与えられ、その餌によって生きていくということだ。具体的には、その究極は「家畜」や「ペット」と呼ばれる動物であり、「関係性」という側面から観れば、「独立」から 「依存」へという関係の変化ということになる。今回、この短編を読んで、「関係」や「依存」について考えているとき、次のように仮定してみた。私たちの祖先が「社会 」をつくり、その中で生きる道を選んだのは、人間が、他の動物に比べて弱く、完全には独立して生きられないということを知ったからだ。この「弱さ」というのは、最初は、単に体的なものだけだったはずだ。しかし、その肉体的弱点から身を守るために、「社会」という 環境の下で生活するうちに、人間は精神面でも「独立」ということから遠くなり、「慣れ」から「依存」へという方向に近づくことになったのではないかと。このような仮定に従えば 、他人に依存しなければ生きることのできない、ひ弱な精神しか持たない人間の姿が、「家畜」や「ペット」の姿と重なる。
ここまで考えたとき、"wild" が「楽しい」という意味にも解釈できることを思い出した。他人に依存しなければ生きていけない人間が人生を送るとき、何が「楽しい」のだろう、「ワクワクするようなこと」とは何だろう、という問いが頭に浮かんだ。わたしは、ただ単にペットを可愛がるだけの飼い主に買われることになってしまった猫になった自分を想像してみた。
楽しいことは何もない。
猫のわたしは呟いた。

"wild" な道、つまり、誰も慣れていない、厳しい道を選ぶというは、何が起こってもそれに立ち向かい、自分が選んだ道を迷うことなく進んで行ける強さを持った人間だけに許されることだ。そして、このような人間だけが、「楽しいこと」を手に入れることができるのだと、その時、気づいた。
「楽しいことは何もない」と呟くような人生なら、止めてしまった方がましだ。
どこからか、そんな声が聞こえてきた。

1998年9月27日記
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ラベル:村上龍 短編
posted by yoshikoskz at 07:39| パリ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ryu murakami | 更新情報をチェックする
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